一室に一人でいた。揺れを感じすぐにテーブルの下にもぐる。経験のない長い揺れにただ祈った。揺れが止まってすぐにブリ夫に携帯で電話をかけたがつながらない。一旦外に出て、しばらくしてから部屋に戻りTVをつけた。津波の映像が目に飛び込んできて息を呑む。
何回かの揺れを経た後、電車も止まっていることがわかったので、帰り支度をして歩き出した。
多摩川沿いの道を歩いてゆくと、空には不気味な色の雲が広がり、時々雨が吹き付けてきた。今日に限って歩きにくい靴を履いてきてしまった。橋を渡って大田区側に入ったあたりで、「東京湾にも津波警報が出ています。川の近くから離れ高い場所へ移動してください」という放送が耳に入ってきたので多摩川から離れ住宅街を歩いた。
歩いている途中で、ブリ夫からメールが届いた。そして友達二人から安否確認と今夜の飲みは延期しようというメールが届いた。
出発してから一時間半後、父親の住む古いマンションに到着。エレベーターは停止していたので階段を上り、ドアを開けたら、父が私の名前を呼んで玄関に出てきた。揺れの間、父はテーブルの下にすぐ潜って震えていたらしい。
ブリ夫が大宮の両親に連絡したらみんな無事とのことで一安心した。しかし、大宮のお母さんの故郷は仙台であり、姉妹やその家族がそこに暮らしている。お母さんの心中を察すると胸が痛む。
父親とTVのニュースをしばらく見た後、マンションを出ると、第一京浜には自宅に歩いて向かう多数の人の行列ができていた。
自分のマンションに帰ってみたら、そうとう揺れたらしく小さな家具や鏡が倒れ、水槽から三分の一の水が出て、水槽の中に落ちた蓋の下で金魚が動けなくなったままじっと耐えていた。ブリ夫が地震ストッパーをつけていたおかげで食器や薄型TVは破損せずにすんだ。
天災にはあらがえない。今は無事だがいつ何が起こるかはわからない。今回の地震でこれ以上被害が広がらないことを祈りつつ、被害にあった町や人々の復興のために微力ながらでも何ができるか考えたい。