ごはん日記

midori-ramao2012-04-01

今日は結婚記念日かつ祖母の命日である。祖母の仏壇に花を添えに父親のマンションに行った後、いつもならば、夫婦で食事に出かけたりするのだが、今夜、私には大事な用事がある。
取ろうとしても取れなかった山下達郎のLIVEチケットが2枚手に入ったと、数日前、Nやんから連絡があったのだ。しかも初めての神奈川県民ホール。ロケーションも抜群だ。
ホールの前で待ち合わせたら、Nやんが「チケットを譲ってくれた人が、5日のサンプラザも余っているから譲れますよ」と言ってくれたらしく、そちらはT子を誘ったそうだ。
とにかく初めての山下達郎のLIVEであり、始まる前から、感涙を流しそうな予感がする。
席は三階だったが、県民ホールなので、そう遠くには感じない。
席に着くと、上部の席の女性が「みなさん、使ってください」とクラッカーの入った大きな袋を回し始め、我々も一個ずつもらう。このクラッカーは、あの曲のあのタイミングで鳴らすのだ。
そうこうしていているうちにバンドと達郎が出てきてライブが始まった。ニット帽を被った達郎は足が長くスレンダーで若々しい。若々しいのは体だけでなく、声の伸びや艶や透明感がCDと同じだった。いや、CD以上だったかもしれない。
曲だけでなく、達郎いわく[客いじり]のMCも面白く、また客がかける声の内容とタイミングも絶妙で、達郎がぎゃふんとなっていることもあった。会場の観客すべて達郎に対し温かい愛情を放っていたし、達郎も愛をもって応えてくれる素晴らしい雰囲気のライブだった。その雰囲気に気持ちよくなった達郎は、アンコールはいつもより多めに歌ってくれ、トータルで4時間弱のライブとなった。予想した通り、途中と最後に涙を流した。隣にいるNやんの全身からもその感動ぶりは伝わってきた。
とにかくこんなに幸せな気持ちになれたライブは久しぶりだったし、今までで一番だったかもしれない。
感動冷めない二人は跳ねるような足取りで会場を後にし、遅くまでやっている関内駅前の大衆ビストロに入り、美味しいお酒を飲んだ。
昔、達郎を聞きはじめたあの頃、他にも夢中になったミュージシャンはいたが、こちらが年をとるにつれ、その曲やミュージシャンとしての在り方に共感できなくなり、気持ちが離れた人も何人かいる。しかし、達郎はどんな時も、気持ちよく受け入れられるものを作り歌い続けてくれていたし、59歳にもなってこんなに完成度の高いライブを見せてくれるなんて本当に唯一無二の存在であると確認。
帰宅して、もう一つの感動があった。ブリ夫が初めて一人でご飯を作ったのだ。作ったものは、やっぱりナポリタン。