midori-ramao2006-05-06

カッパドキア → アマスヤ (トルコ)
翌朝、5:00に2Fのサロンテラスまで気球ツアーの人が迎えに来ることになっているので、4:50頃にサロンテラスに行って待つ。しかし、5:00を過ぎても一向に迎えが来ない。5:30になっても来ない。来ないったら来ない。不安になってチケットを見ると「スタート4:30」と書いてある。オーナーは「4:30に起きて5:00にここね!」と云ったはずだし、昨夜私は「5:00にココで良いんですよね?」と確かめた。オーナーが間違えたのか?どうなる?気球?と二人で不安になっているところにMが起きてくる。早朝の散歩をするとのこと。オーナーを起こす為に呼び鈴を押したが起きてくる気配なし。そうこうしている内にやっと迎えの車が来た。やっぱいい加減なんだよ、トルコ人は!!
車に乗って丘の上に行くと既にたくさんの人々が待っていた。我々の参加した気球ツアーの会社では4つのバルーンを飛ばすようだ。我々の他にも日本人客は10人ほどいた。車から降りてきた中国人客が一目さんでお菓子が置いてある場所に行きクッキーをくわえたのには驚いた。ガッツキ過ぎだぜ!
4つに組分けされ、同乗者の顔ぶれは米人親子3人と国籍不明白人2人と日本人夫婦。日本人夫婦に話しかけると、頻繁に旅行している二人でイスタンブールには以前一度行ったので今回はカッパドキアをメインで回るらしい。モロッコにも行ったことがあるらしい。見た感じ、旦那さんは商社マン。奥さんは妻は東京女子大出身の主婦といった感じ。気球を膨らますまでにまた時間がかかり、6:45頃になってやっと空へ向かって昇る。ゆっくりと昇ってゆくので怖さはナシ。高く上ったり、下がったりを繰り返し、カッパドキア全体を見降ろす。景色もそう代わり映えしないので40分くらいで飽きてきた。米人親子がスタッフに質問していたのを聞いていたら、彼はオーストラリア人で、気球ツアーをしている各国を渡り歩いているがそろそろ国へ帰りたいと思っているとか。
気球が降りた場所はラッキーな事に昨日たどり着けなかったシメジ岩の前。気球会社の用意したシャンパンで乾杯。この旅で初めて飲む酒だ。勢い良く飲んだら、私にだけに瓶に残っていたシャンパンを注がれた。すきっ腹な上に久しぶりに飲む酒は五臓六腑に染み渡った。

帰りの車中で日本人夫婦とモロッコ話をしてたらあっという間にペンションへ。2Fサロンへ行くと散歩を終えたMが朝食をとっていた。昨日、Mは我々がたどり着けなかったウチヒサルまで自転車で行ったらしい。連れは「俺達ももうちょっとでウチヒサルだったのにぃ〜」と残念がっていたが、もうちょっとが無理なこともあるわけで。Mはまた我々と同じくツアーには参加せず、地下都市に行くらしい。そうこう話している内にオーナーが起きてきた。昨日の朝とはうってかわって機嫌が悪そう。夜遅くまで騒いでいたからか、早朝のチャイム攻撃も効いたのか?MとE-mailアドレスを交換し、我々は荷物をまとめて2Fサロンに預け、地下都市(カイマクル)に向かう。
まずオトガルでバスに乗りネヴシェヒルに向かう。ネヴシェヒルからニーデ行きのバスに乗り換え、地下都市付近の停車場で降りる。カイマクルへ歩いていくと入り口でトルコ人旅行者達が「金返せ!」と怒っていたが、気にせず中へ入る。ツルツルーと地下迷路を回って出てくる。入り口にいた日本語を話せるトルコ人が我々が入って行ったのを覚えていたらしく「もう出てきたの?早いネー」と声をかけてきた。
お土産屋通りを冷やかしていたら可愛い毛糸の手袋があったので連れと2つで12YTLで購入。おまけにお守り目玉が安全ピンについてるやつを2つくれたので私はパーカーに連れはキーホルダーに付ける。
バス停らしき場所でバスを待っていると、『カイマクル−ネヴシェヒル』とプレートに書かれている小さなドルムシュ(乗り合いバス)が停まったので乗ってみる。すると、おっさんが乗り込んできて「おまいら、これに乗っていいのか?」みたいな事を訴えかけてきたが運転手は「余計なこと言うな!」と返していた。(そのやりとりの理由は後になってわかった)ドルムシュはすぐ出発しすぐ近くの停車場に停車。到着したら何故かチャイを御馳走してくれた。このチャイは「まぁ、ゆっくりやって行こうよ」という意味だったらしい。それからカイマクルの住宅地を回り、子供(女の子多し)や母子づれ老婆とたくさん乗せていった。しかしトルコの女の子は美人が多い。若い頃は美人だが、老いるとことごとく太ってしまうようだ。まァ、そんな感じで時間はかかったがトルコ人すし詰めドルムシュはネヴシェヒルに着いた。
ギョレメ行きのミニバスに乗り換えたら、なんとオーナーが乗っていた。よく会うよな、まったく。これだけバッタリ会い続けたら、男女なら縁があると恋に落ちるだろう。つーか、そのぐらいオーナーはそれだけカッパドキアを右往左往してるってとことだな。バスに揺られながら、「旅はどうだった?」はトルコ語で「ナワネーヨ」と言うと教えてくれた。
オトガルで14:15発のカイセリ行きのチケットを買い、ペンションに荷物を取りに行く。オーナーと記念に写真を撮るが、コックが撮った写真は逆光で「ウエストサイド物語」のジョージ・チャキリスそっくりのオーナーの顔は黒くなってしまっていた。オーナーに別れを告げ、ペンションを出ると初日に我々の部屋まで珍入してきた子犬が現れ、連れに懐いてくっついてきた。それを見たオーナーの息子は不安に思ったらしく大声で呼び戻し、子犬は連れの方を振り向きつつペンションに帰っていった。
昨夜、夕食をとったレストランでチキンケバブを買い、ベンチに腰掛け食べながらバスを待った。カイセリ行きのバスに乗ると、睡眠不足だったのであっという間に眠ってしまい、あっという間にカイセリのオトガルに到着。
アマスヤに今日中の到着は難しいと思っていたが、超ラッキーなことに1日1本の直行バスに発車直前で乗り込めた。
7時間のバスの旅の途中、幼い子供がバスの中でワーワー遊んでいると、添乗員の若い男が「殺すぞ」とでも言ってるような顔で叱っていた。トルコでは他人の子供でも気兼ねなく叱れるらしい。日本では見られなくなった光景。
雨のスィワスを停留中、ポップコーン売りのおじさんが来たので1個買うと2YTL出していたのを2個買うのだと勘違いし、訂正する間もなく2個渡された。このポップコーンが塩味がなく不味いこと。トルコ人は塩味のないポップコーンを好むのか。食べられないので上の荷物置きに置いておいた。
バスはスィワスを出発。同じ景色がずっと続いていたが、雨上がりの大地に虹がかかった美しいシーンにも遭遇したりして感動。
日が沈み夜になり、車内の映画上映も終わり、アマスヤの1つ前の街に着いた頃にはバスに残っている乗客は我々2人と若い女性1人だけになっていた。その後、ガソリンの補給と洗車の為に停車した所で、添乗員に運転手の後ろの席に座りなよと言われる。若い女性も前に出てくる。彼女はサマンサ・モートンそっくりで笑顔の可愛い女性だ。運転手が連れに隣の席においでよと誘い、それから5人でおしゃべりが始まった。おしゃべりというか、サマンサが奇跡的に英語を話せ、運転手と添乗員が我々に聞きたいことを彼女に通訳させ質問するという形式。「日本の道路事情は?」「日本のバスで一番のメーカーはどこだ?」「イスラム教をどう思う?」「イスラム教やコーランをもっと勉強して欲しい」など質問の後、「アメリカをどう思う?」という質問をしてくる。連れは「日本人は以前ほどアメリカを好きではなくなってきていると思う。僕は個人的にはブッシュは嫌いです。世界のほとんどの人はブッシュを嫌いだと思う」と答えると、「我々(トルコ人)もブッシュは嫌いだ」と3人は賛同していた。その答えで運転手達は連れを大いに気に入ったようだ。添乗員が「フフフ、忘れ物のポップコーンを君達にあげるよ」と我々とサマンサにくれた。「それは元々我々が買ったものだ!」と内心で爆笑した。トルコ語で書かれているコーランの本と、どうやらパンにつけるらしい甘いクリームもお土産にくれた。
そうこうしている間にアマスヤに着いていた。彼らはありがたいことに街外れのオトガルではなく、街の中心地で我々を降ろしてくれた。3人と記念に写真を撮ってバスを降りた。
23時のアマスヤの街は人気があまりなく静かだった。ホテルを捜そうと歩き出すと、近くで井戸端会議をしていた数人のトルコ人の中の1人がトルコ語で話しかけてきた。どうやら「ホテル捜してるの?」と言っているらしい。どうせホテルの勧誘か何かかと思い無視してたら、今度は夫婦と子供らしき3人が我々の前を歩き出し、奥さんが「ここのホテルは高いよ、うちに泊まりなさい」と言ってきた。普通ならそんな話には乗らないが、子供も一緒だったし、バスの中のトルコ人たちとの交流で気持ち的に解放されたことも手伝い、「大丈夫かなあ?」などと言いつつついて行く事にした。念のため、連れが「我々にはお金がない」と説明していたが英語が全く通じないようだ。連れて行かれたのは中心地の一角のマンション。広いマンションでお金にも困ってないような感じを受けたので、ひとまず信用することにした。
家に入ると奥さんは自分の名前をディレキと名乗り、私に抱擁と頬にキスをするトルコ式挨拶をした。夫はオキュタイ、息子はジェラルドという名前だった。シャワーを浴びなさいと云われ、私から先にシャワーを浴びに行く。「タオルが無い」と言うとバスタオルを大捜しし始めたので、慌てて普通のタオルを取り出し「OK」とシャワー室へ。シャワーを浴びて外に出るとディレキが洗濯物を出しなさいと云うので下着以外のその日着ていた服と靴下を洗濯機に入れた。
客間に戻ると女性2人が増えていて賑やかになっている。ギョルとグリザッシュという名のディレキの妹だった。連れが風呂に入っている間、チャイを飲みながら話をする。話といっても次女がなんとか英語をほんの少しだけ話せる程度なので「地球の歩き方」の後ろに書いてある幾つかのトルコ語の単語を指差し、やり取りしながら私たちの名前やどこを回ったのかなどと話しをした。連れがあがってくると、0時も回っているのに今度は60才くらいの男性がやってきた。どうやら3人の父?らしい。ディレキが私の持っていたバスで貰ったポップコーン袋を勝手に空け、「せっかくあるんだから食べましょうよ」と皿にあけた。3姉妹は美味しそうに塩味のしないポップコーンを食べていた。「いつまで起きてるんだ?寝させてくれ。」と思いながらコミュニケーションを図っていると「明日、みんなでピクニックに行きましょう。いい?」と誘われる。戸惑いながらも「ハイ」とうなづく。
やっと寝させてくれることになり、客間のソファーをダブルベッドに変え、シーツを敷いてくれた。まだすべて信用しきってはいない我々はパスポートとお金を腹巻にしまったまま眠りについた。