midori-ramao2006-05-07

アマスヤ (トルコ)
アマスヤの朝は曇りだった。昨夜「何時に起きる?」と聞かれた時、「あなた達が起きたら我々も起こしに来て下さい」と告げた。起こしに来る前にサッサと着替えを済ませた。
台所で朝食の用意をし始めたので「何か手伝えることありませんか?」と聞くと、ディレキと泊まったらしい3女のグリザッシュが客間に布を広げ、まな板とボールに入ったトマト、ししとう、ニンニクを持ってきた。トマトの皮を剥けという仕草をするのでトマトの皮を剥いた。いつもトマトの皮をむくときは湯につけるか火にあぶるので、包丁で剥いたことはなかった。適当に剥いた後、細かく角切りにして、ししとうもみじん切り。それをひき肉(牛)とつぶしたニンニクと混ぜ、水1カップ、塩コショウ、油1カップ、唐辛子と混ぜる。何を作るんだろう?と思っていたら、その混ぜたものを持ってついてこいと私だけ言われ階下へ降りてゆく。
連れて行かれたのは隣のビルにあるピザ屋。ピザ屋の店主と従業員にまぜまぜミンチを渡すと、ピザ生地を等分に分け、薄くピザ状に引き延ばして、ミンチを塗ってゆく。それを釜の中に入れ、ピザを焼きはじめた。一緒についてきた1人息子ジェラルドが「食べたい」と言いだし、店主からもらった焼きたてのピザをほおばった。その次は私にくれた。焼きたてのピザの美味さに感動し震えた。待ってる間に出してくれたチャイと共に2枚のピザを食べた。これぞ最高の朝食だ。1/10ほど残ったひき肉にさらにたっぷり唐辛子を混ぜて、ディレキは「アジ、アジ」と言って焼いてもらっていた。
焼きたてのピザを持って部屋に戻るとディレキの母、次女ギョル、三女グリザッシュの夫ともう一人ジェラルドより1,2才年上らしき男の子が増えていた。客間に布を敷き、ちゃぶ台をおいて布をひざにかけ(こぼさないためだ。なんと合理的)皆でちゃぶ台を囲みピザを食べる。連れもピザの美味しさに感動していた。
「今日は天気が良くないのでピクニックは中止。ミュゼ(博物館)に行きましょう」と言われ、ディレキ、ギョル、ジェラルドで出かける。途中、ギョルは別れてどこかへ行く。ディレキとジェラルドと我々の4人は街で一番大きいジャーミィへ。ジャーミィの写真を撮った後、歩いている途中でカメラ屋の前を通りかかると男性が出てきて、ムラートだと紹介される。どうやら近親者のようだが言葉がわからない。ディレキとよく顔が似てるので「お兄さんかなあ」と推測し「わかった!」と答えておいた。
バスのチケットカウンターへ。今日出発のバスは16:00発アンカラ行きしかない。我々は何日アマスヤに滞在するか決めてなかったが、16:00だと後少ししか滞在できないなと悩んでいたら、ディレキが「今夜もうちに泊まりなさいよ」とジェスチャーで訴えてきたので、お言葉に甘えてもう一泊させていただくことにして、明日11:00発のアンカラ行きのチケットを買った。
その後はミュゼへ。残念ながら午前の開館時間が終わり、13:30からしか観れないとのこと。再びギョルと合流し、川沿いの古い建物を利用したレストランへ。そこはどうやらギョルの知り合いの店で、窓辺の席で川を眺めながらチャイを御馳走になる。レストランのオーナーらしき男性は、ジョージ・クルーニーに似ていたが、アメリカ人に例えられて喜ばないかもしれないので褒めるのは止めた。
13時半になったのでミュゼへ。大人1人2YTLもかかるので無料の子供のジェラルドと我々2人だけが中に入り、ギョルとディレキは入り口で待っていることになる。そこは小さくてたいした物は展示されてない博物館だったが、ジェラルドが得意気に「これは墓だね、うん、うん、あ、次は〜だね、うん、うん」といちいち説明していたのが可愛かった。ミュゼに併設された公園みたいな所にミイラの展示品があり、中に入るとジェラルドが連れの持っていたデジカメに興味を持ち、「チェキ!チェキ!(カメラをチェキと言うのか?)僕にも撮らせてよ」とミイラ一体一体、ミイラの足の部分などどうでも良い物を写真に撮りまくっていた(データ量を喰うので後日ほとんど消した。ゴメン、ジェラルド)。展示室を出た後も芝生の花を撮ったりするのに夢中になっているので、連れにジェラルドを任せ、私はトイレへ。
トイレから出てくるとギョルが待っており、早く早くと手招きされた。ミュゼの前にオッサンが乗った車が止まっていた。どうやら知り合いのオッサンに運転手を頼んだらしい。オッサンの車で山の上のレストラン(ロカ)へ。今度は街を眺めながら、チャイを(我々はネスカフェを)飲んだ。ここもギョルの知り合いの店らしい。狭い街だから、知り合いだらけなのは当然なのだろうが、それにしてもギョルは顔が広い。
連れとジェラルドが表に出て行ったのでついていくと店の前のでっかい犬の柵の横に子犬がいたので店員に開けてもらいしばし遊ぶ。オッサンとディレキが我々の荷物を持って出てくる(外国で荷物を置いたまま出てくるとは、かなり緩んでるな)。
オッサンの車に乗って下に降り、ギョルを街で降ろした後、今度は向かいの岩山の上のカレ(城跡)へ。城跡のふもとでオッサンとは別れ、ディレキ、ジェラルド、我々の4人でカレを登ってゆく。
カレからの街の眺めは素晴らしい。道脇に生えているひな菊のような花をディレキが「これをチャイにすると美味しいのよ」と摘み始めた。たぶんカモミールだと思いながら一緒にたくさん摘んだ。カレの上では若い男の子数人がピクニックをしていた。トルコでは男は男同士、女は女同士でつるんでおり、混合タイプはめったに見られない。城壁跡にジェラルドと連れが登るが傾斜急で怖いので私は遠慮しているとディレキが「写真撮ってあげるから登んなさい」と尻を叩いてきたので怖々必死で登った。
ディレキはカレから降りる車を確保する為、何人かに電話をかけていたようだが結局アシは調達できなかったようだ。しかし結果オーライで天気も良くなってきた陽のあたる坂道を花を摘みながら降りていくのはとても気持ち良かった。ジェラルドは空手に興味があるようで「アチョー!」とか言いながら草を蹴っていた。

街に降り、中心地の広場にあるアタチュルク像の前にいくと今度はディレキの友人の中年女性が待っていた。彼女はジェイミー・リー・カーティスに似ていた。行く先々で知り合いが待っているのには驚かされた(この日が日曜日だったからという事もあるのだろうが)。彼女が持ってきたパンと野菜を芝生に広げ、野菜(トマトときゅうり、ししとうを切り、塩をからめバケットに挟んで遅い昼食を頂いた。そこへその友人の娘らしき女性が合流。ディレキは私のことを「モノ」と紹介していた。「モノだって。人間以下になっちゃったな」と苦笑した。サンドイッチを食べながら、ジェラルドと友人が「アジ!アジ!」と言ってたので「塩辛い」事を「アジ!」と言うのだと解った。アタチュルク像の前で写真を撮ってると地元の(めずらしく)男女混合の集団が「僕らも写真、一緒に撮らせてよ」と並んできた。この街では日本人どころか観光客が一人も見当たらない。我々が通れば人々は珍しそうにこちらを見た。
ディレキが「次は石窟墓に行く?それとも家に戻る?」と聞いてきた。私は「家だよ!疲れたよ」と訴えたが、ジェラルドが「登りたい」と言い、連れも「じゃあ、行くかァ」と賛同したのでまた坂道を登る事に決定した。石窟墓はカレ岩山の真ん中辺りにある。階段を登って行くが、ジェイミーの娘が下で会った友人と話し込んでいてなかなか登ってこない。トルコ人はマイペースで自分勝手だということがよくわかった。私たちの後ろから腕を組みながら登ってきた男2人はこれまたディレキの友人だった。ディレキは会う人会う人を紹介してくれるがそんなにたくさんのトルコ人の名前は覚えられない。結局娘を待つジェイミーも上がるのを諦め、ディレキ、ジェラルドと4人で上がる。
石窟墓の入場料は1人2YTLと書いてあったが何故か4人で6YTLを請求され我々が払い入場。石窟墓は何てことない遺跡だったが、それより何より驚いたのはムラートとその友人が上にいたこと。ロールプレイングゲームのように先に進むと誰かが待っているのだ。
石窟墓に着くとディレキは「モノ、私達は友人ね!」と抱きしめてきた。我々が一緒に花を摘んだり、ジェラルドと仲良くしたり、険しい急斜面を助け合いながら上り下りしたことが彼女の友情を加速させたのか?まァ、まんざらでも無い気分なので私もそれなりの親愛の情を表しておいた。
今度は「ギョルが待ってるのよ、早く!」とせかされ急いで下に降りる。夕暮れ時の川面、町並み、岩山面は美しい。アマスヤは派手ではないが美しい町だ。アタチュルク広場で今や遅しと待っていたギョルと合流し、行く先もわからぬまま先を急いだ。

着いた先はディレキたちの両親の家。家庭料理を御馳走してくれるというのだ。時々顔を出しては消えるオキュタイ達など家族の面々が揃っていた。ジェラルドがさんざん写真を撮った為に、カメラのバッテリーが無くなりかけていて写真が撮れない。それでもジェラルドは「チェキ!」とカメラを持ちたがった。年上の男の子も「俺にも持たせろ」と取り合いになり、年上の男の子がジェラルドのほっぺをパチンと叩いた。一人っ子ジェラルドはまたスネて隣の部屋へ。叩いた男の子をディレキの母親が「殺すぞ!」と言ってるような迫力で怒鳴りながら持っていた包丁を向けた。そのやり取りに私達は大笑い。ディレキの一家はどうやら女性の方が権力を持っているようで、よく話すのも専ら女性たち。怒鳴られた男の子はギョルかグリザッシュの息子と思っていたが、察するにどうやらディレキの一番下の弟らしい。つまりサザエさんで言えばディレキがサザエさんで彼はかなり年下の弟、カツオなのだ。私達の年も聞かないし、向こうの年も言わないが、サザエとカツオ以上にかなーり年が離れてるよな。そんなこんなしてるとギョルがグリザッシュとその夫アリの結婚写真を持ってきた。どうやら二人はつい最近結婚したばかりのようだ。写真を見せるだけでは物足りないらしく、今度は結婚パーティのビデオCDを流しはじめた。パーティ会場にはたくさんの人々が集まっており、みんなでトルコダンスをずーっとずーっとひたすら踊り続けていた。それがトルコ式披露宴のようだ。ギョルもディレキもしっかりメイクし着飾って踊っていた。見ながらデイレキが「あなた達もこの街で結婚式をやりなさいよ」と言ったがアハハと笑い流す。ひたすら続くダンスシーンに「みんなパワフルだね」と言うとディレキが「ハイヒール履いて踊り続けたから実はヘトヘトなのよ」とも答えた。
夕食の時間になった。まずヨーグルトのスープが出た。皆、スープにパン(エッキメッキ)を浸して食べている。スープは薄味。驚いたのはテーブルに塩を落とし、玉ねぎにその塩をつけてかじっていたこと。スープの後は米と野菜の雑炊みたいなもの。これはトマト風味の味付けになっている。我々は2,3時間前にサンドイッチを食べたばかりでお腹が空いてなく、むりやり必死で食べ、おかわりまでした。ギョルが「もっと食べてよ」とススメてきたので「夕方にサンドイッチを食べたから」と言うと、ディレキに「あれからサンドイッチなんか食べたの?」と文句を言ってた。トルコ人はとにかくおしゃべりが大好きだ。みんなが大声で話し倒す。感心したのは子供もしっかり叱り、甘やかさないこと。日本では失われた人間臭い家族の団欒がここにはしっかり残っていた。この国はクルド人のテロは起こっても親殺しや無差別殺人をするような子供は育たないだろうなと思った。
夕食が終りかけたころ、ディレキ達の父(ババ)が戻ってくた。昨夜来たオッサンとはババではなかったのだ。じゃあ、あのオッサンは誰だったのだろう?そんなことはどーでもいっか。
食後はディレキに「踊りましょうよ」と誘われ、ビデオCDに流れてくる曲に合わせてディレキ、ギョル、私、連れ4人が輪になって踊った。ギョルは違うパターンの踊りも教えてくれた。ババが私の踊りを「美しいね」と褒めてくれた。デジカメで撮れないのでビデオで撮った踊りを連れが見返していて「俺の踊りってこんなにくねくねしてかっこ悪かったんだ」とショックを受けていた(なにを今さら!と私は思ったが)。
ババとママに別れの挨拶をして家を出た。帰る途中、昨夜出会った場所を通りかかると、ディレキは「ここで出会わなかったら我々はこんなに親しくなってなかったわね」と感慨深げに言った。そして通りかかった何かの建物の前で、気を吸い込みそれを顔につけるみたいな仕草をし始めた。「あなた達もしなさい」と言われて真似したが未だあれが何の意味であったのかは解らない。ジェラルドは連れと空手の構えをしあうのがすごく気に入っており、しつこくリピートするのに根気よく連れは付き合っていた。

ディレキの家に着くとギョルとグリザッシュ、アリも来て、昼間会ったジェイミー親子とその夫、そしてディレキんちの愛鳥オカメインコ、シシリーの友人オカメインコのクッキーと名前不明のインコが連れられてやってきた。「まだ騒ぐんかい。日曜の夜だっつーのに」と少々うんざり。歩いて踊ってかなり疲れていたのだ。オキュタイがトランプをしようと言い出したがトランプをする気力はないので連れに任せた。オキュタイ、ギョル、連れ、ジェイミーの夫と娘で何かトランプゲームを楽しそうにやり始めた。オキュタイもそれまではあまり喋らなかったが、ペチャクチャ喋り楽しそうに「クシュクシュクシュ」という笑い声をあげトランプに熱中していた。
ディレキとジェイミーは編み物を始めた。私は眠い目を必死に開け、編み物やトランプやオカメインコ(ディレキの家ではインコを鷲づかみするのだ)を見ながら楽しんでる振りをするのがやっとだった。グリザッシュとアリはずっとイチャイチャしていた。いつもは寝てる時間であろうジェラルドも興奮冷めやらず、なかなか眠ろうとしない。編み物にトランプ。日本ではありえない光景にある意味感動していた。でも眠いのはどうにもならない。途中、ディレキが「ギョルがモノ(私)とお供に出かけたいと言ってるけどあなたも眠いわよね」と言うので「そうね、やめとく」と答えた。その返答の後、ギョルはトランプカードを止めて部屋を出ていった。
やっとお開きになり、寝る支度をする。興奮冷めやらず寝ようとしないジェラルドはディレキに叩かれ泣いていた。連れが虫か何かに刺されたか、かぶれたか、手と首元とか点々と腫れている。これ以上は広がらないといいが。というか下痢、風邪、湿疹と立て続けに発症させ、「おまえは病気のデパートか!」と呆れた。途中、グリザッシュが朝電話が鳴るとうるさいだろうと電話線を抜きに来た時、向こうにギョルの顔が見えた。ギョルは何か話したいような顔してたが、また明日会えるだろうと「おやすみ」と手を振って戸を閉めた。ようやく長い一日が終わった。