midori-ramao2006-05-09

サフランボル (トルコ)
サフランボルの朝は寒い。ホテルのサロンで朝食をとり、チャイを何杯もおかわりし体を温めた。
ホテルに荷物を預けて外へ。まずは鍾乳洞ツアーに参加しようとツアー会社に行くが今の時期はクローズしていてやっていないと言われる。見所のヨリョク村、水道橋は遠いし惹かれないし、観る所がないなァ〜と公開している古民家に向かう。薄暗くて寒々しい古民家の中をテンションも低く見て回り、そのまま坂を登ってサフランボルの町並みが見渡せる丘の上へ。「観るところもなさそうだし早々にバスに乗ってイスタンブールまで行くかァ」なんて話しながら坂を下る。坂を下る途中で猫2匹を発見。そのうち1匹がものすごーく人なつっこくて、ひざにスリスリしてきて面白かった。トイレが我慢できなくなったので先ほど入った古民家のトイレを借りに入って外に出た。すると、連れが隣のペンションの上の窓から顔を出した女性に話しかけられていた。彼女は日本語ペラペラだ。「こんにちは、うちも博物館になってます。タダですから覗いていきませんか?」と言われたとの事。他に観る所もないことだしと言葉に甘えて入ることにした。
声をかけてくれた女性はヤスミンという名前で日本語のほかにも英語、韓国語など複数の言語を話せるとの事。高校生らしき弟も日本語ペラペラだった。部屋を見せてもらった後でこのペンションが「歩き方」に載っていた客の9割が日本人だというペンションだと気づいた。連れは「このペンションの方が安いし、ここに泊まればよかったね」と言うので、ヤスミンの手前、「そうだね、しっぱーい」と返したが「おまえ、『日本人ばっかりは嫌だ』って言ったじゃん!」と腹の中でつっこんだ。
下に降りてゲストブックを読みながらトルココーヒーを注文した。ヤスミンはお茶うけにエクレアのお菓子を出してくれたた。ゲストブックには「この街とこのペンションが居心地良くて2ヶ月も滞在してます」とか「ヤスミンは自分の事を可愛い〜と連発するので私も褒めておだてておきました」とか日本人客の記入がたくさんあった。それと!「スリスリ猫がいる」という書き込みを発見。さっきのスリスリ猫はどうやら有名のようだ。コーヒーを飲みながらヤスミンが2年前に1ヶ月ほど日本に行った話などを聞いた。東京に着いた最初の夜、2万円のホテルに泊まってしまい2万円の事を考えたら眠れなくなったとか、その後は友人の家に泊めてもらったとか。4年前に結婚して来月6月にダンナと近くにドミトリー専門のペンションを開く準備をしているらしい(ヤスミンの母親はそれを聞いて「ヤスミンズペンション、ヤスミンズペンション」と嫌味を言っていた)。
ヤスミンに今日もサフランボルにいるならうちに泊まってとか、深夜バスで出発するならその前に夕食を食べに来てと言われ「じゃあ、夕食時にまた来るよ」と帰ろうとすると、入り口まで送りに来て、飾ってあるスカーフについて説明しだし「お母さんと私が刺繍しました。巻くとステキです。買ってください。私、商売上手デ〜ス」と畳み掛けるように言ってきた。ヤスミンは商売上手だ娘さんだ。それから半日はヤスミン風の話し方が2人の中で流行った。
深夜バスで帰ることに決めて、カフェでゆっくりチャイを飲みながら日記をつけたりした後、ドルムシュに乗り、新市街へ。こちらは大きな工場地帯で働く人々が暮らす庶民的な街だ。ロカンタも安くて美味しそうだったが、今食べるとヤスミン宅の夕食が食べられなくなるので我慢した。サフラン社で23時30分発のバスチケットを買い、周りをブラブラ歩く。アマスヤ以来、トルコ人との交流を求めるようになったので「誰かチャイでも御馳走してくれないかな」などと考えるが観光地の為、日本人は見慣れているし、誰も声はかけてくれなかった。

帰りは下り坂を旧市街までテクテクと歩いた。旧市街でおばさんの経営する小さなチャイハネに入った。前の八百屋さんの兄ちゃんがおばさんとトランプをしながら、客が来たら中断してお金を貰いにゆくというのどかな光景を見ながらチャイを飲む。この旅でこんなにゆったりした一日を過ごすのは初めてのことだ。
ホテルに荷物を取りに行った後、ヤスミンのペンションへ。またヤスミンといろいろ話せると思ったが、新たな日本人客達が泊まりに来て対応に追われ忙しそうだった。夕食が出来上がる前にサロンで待っていると日本人男性が一人戻ってきた。声をかけてみたら、Oという名前でギリシャ、トルコを一人旅しているらしい。イスタンブールでツアー会社につかまりカッパドキアやトロイまでのスケジュール組まれたらしいが2週間くらいで10万円とのこと。日本人にふっかけてくる金額としては良心的かもしれないが、トルコ人ならその金額で国内を四周ぐらい回れるんだろうなと思った。Oは元SEで一人旅をよくするらしく昨年はインドに行ったとか。インドの強烈な話を聞いているうちに夕食の時間になった。
食事に並んだのは我々とOと2人の日本人女性とカナダ人2人。日本人女性の片方はトルコで手芸の研究をしていて「歩き方」にも手芸のページを書いているとの事。4ヶ月トルコにいてトルコ語がペラペラになっていた。もう一人はCGデザイナーで仕事を辞めてこれからトルコ、シリア、ヨルダン、エジプトを回り、最後はワールドカップの頃ドイツに行くと言っていた。
ジャスミンのママ(ミザリーの女優にそっくり)お手製の夕食は期待してなかったわりにはなかなか美味しかった。
食後、ヤスミンがバスセンターまで車で送ってくれると言うのでゆっくりとOとCGデザイナーの子と話をしてたら、早々と22時過ぎにヤスミンが「私達帰りますが・・・」と言ってた。話を中断して早めにバスセンターへ向かうことになった。
ヤスミンのダンナが運転する車の中でヤスミンはスピッツの曲をかけた。スピッツトルコ人の好みに合うのか?サフラン社のバス停留所でしばらく待ち、メトロ社のセルヴィスでオトガルまで行きバスに乗る。23:30発イスタンブール行きはなんと4社あった。我々の席は残念ながらドアの横で人が乗り降りする度、冷たい風が入り熟睡できなかった。